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夢の通ひ路 人目避くらむ


移動

http://rahmens.qee.jp/blog/


移転しました。どーん
# by ryo-0316 | 2007-02-21 17:54 | 日記


復帰(?)

最近はといえば、14歳年上の女性に結婚を迫られたり、承諾したりと、
相変わらずやりたい放題でしたが、残念なことにまだ結婚していない。

mixiの方がなんとなく(結婚とかで)面倒になってきたので
何を思ったかこの誰も見てないであろうブログをしばらく自慰行為的に
更新してみようかと思っている所以。

こんな糞ブログをRSS登録とかしてる変態野郎は月のものに変わってお仕置きです。
多い日も安心。

刺されないように夜道と避妊にだけは気をつけております。
多い日も安心。
# by ryo-0316 | 2007-02-14 01:09 | 日記


さて

転職して5ヶ月目。




俺様にやってやれないことはない。




でも疲れる。 相変わらずしぶとく生きてます。
# by ryo-0316 | 2006-11-02 00:19 | 日記


放置しすぎた

生きてます。生きてました。ごきげんいかが。

なんだっけ。んーっと、彼女が出来た。

とかそういう話? まぁ、あるっちゃあるけどないっちゃないね。

それ以前に彼女と別れたことも書いてない。

転職したことも書いてない。

何がなんやら。


いまだにココを毎日見てくれてる人が居るっていうのは、どうなの?

よっぽどの暇人さん? あ、分かった。お前オレのこと好きだろ。うへへへ。

と、そんな無礼な発言も久しぶりってことでご容赦願いたい。

相変わらずひどい生活ぶりです。それはもう。はい。分かってます。すみません。

そのうち何とかするさ。今までもこれからも。んー。
# by ryo-0316 | 2006-07-02 23:41 | 日記


近況

相変らず給料は安いですが楽しい仕事がまぁ多いです。


んー、なんか良いことありそうななさそうな。
# by ryo-0316 | 2006-02-15 22:48 | 日記


あらら

久々にキタ!久々に見た!久々に勝った!







8000枚ー。 15まんえーん。









汁出そう・・・。
# by ryo-0316 | 2006-02-02 00:53 | 吉宗様


浮世を離れ

何故かな、IT企業で仕事していますが、Livedoorの話は
たった今報道ステーションで知りました。まぁ、ある意味閉鎖的な生活だしな・・。
それにしても、社内メールのサーバ押収されちゃ仕事にならないだろうが。
あれは営業妨害じゃないの?捜査令状があれば何でもあり?
粉飾決済の証拠見つからなかったらどうするの?損害賠償?あらたな証拠探し?アメリカ?

面白くない。面白くない。面白くない。面白くない。面白くない。面白くない。



何が面白くないかって、いちいち騒ぎ立てるテレビが、なんだけどな。
# by ryo-0316 | 2006-01-18 22:33 | 日記


お久しぶりですね~

明けましておめでとうございます。

最近はMIXIばっかなのでたまにゃこっちでも書くんじゃよ。
相変わらず江戸っ子な生活をしています。
その心は、宵越しの銭を持たねえってぇことなんですが、
持たねえってよりも持てねえです。給料あげろー。
そんな、給料日前には綺麗に使い切る江戸っ子のおがわさんが最近何をしているのかというと、
まぁ、腐ってます。酸化してます。防腐剤として唐辛子を大量に投与しているのですが、
なかなか腐敗がとまりませんね。

あ、無洗米を買ったら、ご飯を炊きやすくなりました。一つの発見ですね。
寒いと米を研ぐのが億劫になるんですよ。暑ければいいんだけどねぇ。


突然ですが、歌います。

欲しいものは~ いろいろあるけどね~♪
お金じゃ買えない~ ものばかりよ~♪
だからせめて~ お金で買えるものくらい~♪
買える余裕を~ くださいな~♪
給料上げて~ くださいな~♪

Ah 不満はいっぱいあるけれど~♪
Ah 夢や希望はそれ以上~♪
前向きだから 生きていける~♪
ポジティブ ポジティブ~♪


ありがとうございました。 この曲は2042年4月1日、CCCDで発売されます。
嘘だよバーカ!

おい、うずまきー、チューしてやろうか~。

どーーーん!
# by ryo-0316 | 2006-01-09 16:33 | 日記


Ueber allen Gipfeln ist....?

Wo gehe ich eigentlich hin?
Wer weiss es eigentlich?

..., doch Niemand muss es wissen koennen.


Aha, endlich bin ich hier angekommen.
Hier ist ganz hoch. Ist das die hoechite Platz auf der ganzen Welt, oder?

Aha,,, mir fuhlt es Ruh.

Ruhig.... Ruhig...




Ruhig...
# by ryo-0316 | 2005-12-09 00:18 | ドイツ語


えーと

最近mixiの方が楽しくてですね。

こっちと両方書いてるの面倒くさくなってきたのでどっちかに統合しようかと。

まぁ、明らかに見てる人が違うんでなんともしがたいのですが。

ちょっとこっちはしばらくお休みです。近況報告だけたまにすると思います。

だんだんこっちが陰鬱な内容ばっかりになってきてる傾向にいまさら気づいたので。

mixiではげんきにやってます。



近況報告

給料がほんのちょっと上がりましたがまだまだ苦しい生活です。

あと5000円で3日過ごします。まぁ、先月に比べれば余裕です。

来月から池袋に勤務です。 半蔵門の方が良かったなぁー。乗り換え1回で済むし。
# by ryo-0316 | 2005-11-27 17:30 | 日記


自宅WEBサーバ設計計画。

概略
 このプロジェクトは、今回新たにWEBサーバを稼動するためのものであり、
 その構築から運用までの流れを設計するためのものである。

1.基本要件
 要件より、当該サーバには以下の機能を搭載する。

(1)サーバ役割
  1.WEBサーバ
     外部からWEBサイトへの参照を行う
  2.FTPサーバ
     外部から当該サーバとのファイルのやりとりを行う
  3.ファイルサーバ
     ファイルアクセスの権限を設定し管理する

(2)必要なソフトウェア
  1.HTTPD
      HTTPプロトコル通信の参照先を設定する
  2.FTPD
      FTPプロトコル通信の参照先を設定する

(3)サービス時間
  基本的には24時間365日稼動の無停止システムとするが、
  月1回メンテナンスを行うものとすし、その間のサービスは保証しないものとする。
  また、予期せぬトラブルによるシステム停止時間のサービスの保証もないものとする。

2.環境設計

 今回構築するサーバは以下の図の通りである。
 それに伴って、ADSLモデム・ルータの設定も見直す。
a0013008_2392770.jpg


(1)設置場所
      設置場所は自宅1階4畳半の部屋はじっこラック二段目とする。

(2)導入機器
      今回はディスプレイの壊れたノートパソコンとその周辺機器を流用するものとし、
      新たな機器導入は行わない。また、ソフトウェアもフリーのもののみを使用する。




つづく。
# by ryo-0316 | 2005-11-23 23:30 | 日記


だめだこりゃ

ニーチェ。追記。ただのメモです。


神は死んだ。俺が殺した。いや、俺たちが殺してしまった。

科学の発展は、神という存在根拠をかたっぱしから崩していった。

もはや神は死んだ。これ以上存在できる根拠がなくなってしまったのだ。

人々は心のよりどころをなくしてしまった。

どうすれば良い?



しかし神の死によって得られたものがある。

それは、「神でない絶対的な存在の可能性」である。



この展開がすばらしいと思う。そんだけ。
# by ryo-0316 | 2005-11-17 00:26 | 日記


最終話

さて、先日の「善悪について」ですが、
この考えはニーチェによって完全に覆されることになります。
良い、悪いは、理論上は「比較によってのみ」生じる概念なのですが、
ニーチェでは「絶対的に良いもの」の存在を追究していくことになります。
それを会得して人間を超えた理想の存在(超人)を目指すことを
人類の目標と仮定して、そのために生きるべき、と結びます。

微妙に違うかも知れないけど、多分そんな感じ。

さて、暫くニーチェ及び哲学からは離れることにします。
たくさんのお電話やファックスやお電話、ありがとうございました。
いったん武道館にお返ししまーす。




Nice, mia Nice Addio.



(笑)
# by ryo-0316 | 2005-11-13 01:16 | 日記


音楽におけるシュールレアリズムの可能性

シュールレアリズム。日本語ではしばしば「超現実主義」と訳される。
夢や幻想などの潜在意識界を探り、表現しようとする運動であり、
近代現代フランスの美術の世界において広げられた。画家のダリなどが有名である。
この運動は、絵画、彫刻、文学(詩)などの世界で次々と広がっていたのであるが、
「音楽」という芸術分野においては、この運動は広がらなかった。
否、広がらなかったというより、それはシュールレアリズムとして認められなかったのである。

「シュール」という言葉から我々は一般的に、通常では理解し得ないような表現を
イメージするであろう。しかし、全く理解出来ないものではなく、どこかしらに何か意図や、
論理的根拠、或いは説得力があるような、不思議なイメージがある。
上にも挙げたダリの絵画で言うならば、例えばねじ曲がった時計であり、
引き出しの付いたキリンであったりする。時計も、引き出しも、キリンも現実に存在しており、
これらは「想像しうる」絵画であると言える。
つまり、これまで表現される対象となり得なかった、「想像されうる現実」を表現すること、
これがシュールレアリズムの流れであると私は解釈している。

さて、ここで音楽に目を向けてみることにする。
ヨーロッパにおける美術と音楽の世界は非常に近接しており、どの時代に置いてもその関係は
切っても切り離せない。もちろん、文学や科学とも密接に関係している。
ホルストの「惑星」、リヒャルトシュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」などが代表例かも知れない。
しかしここで奇妙なことに気付く。「惑星」にしても、「ツァラトゥストラ」にしても、
それが本当に「惑星が表現されている」であるとか、「ツァラトゥストラが表現されている」と、
誰が言えるだろうか。(これは昨日のドビュッシーの話にリンクするところであるが。)
つまり何が言いたいか。
音楽という分野は芸術活動の中では例外的な存在であり、
初めから”存在しないものを想像し、表現する芸術”なのである。
つまり、音楽の世界においては全く初めからシュールレアリズム的な活動が行われていたと
言えることになるのである。

さて、ここで音楽と美術の関係に視点を戻す。
上にも述べたように、美術と音楽の世界は非常に近接している。
美術に科学的論理が取り入れられたとき(例えば遠近法など)、
やはり音楽でも音楽理論が確立されはじめ(対位法、楽式など)、形式的な音楽が出始めた。
美術の世界でシュールレアリズムが生まれたとき、音楽の世界はどう動いていただろうか。
やはり、同じように「理論的でない想像」から生まれる音楽を表現しようと言う傾向が生まれたのだ。

まず「音」以外の要素で音楽を表現する人間が出てきた。
例えば、エリック=サティ、ジョン=ケイジなどが有名だ。
エリックサティは52拍からなる旋律を840回繰り返す(10時間くらいかかる)、
「Vexations(癪の種)」という曲を作った。
そしてジョン=ケイジは、かの有名な「4分33秒」を作った(4分33秒の無音)。

これらは、とくに「4分33秒」は、マルセル=デュシャンの「泉(美術館に便器を飾った作品)」のような
「”場”と芸術鑑賞者としての視点が芸術を作り出す」という概念にとても類似していると言える。
また、アーノルド=シェーンベルクは、調性の破壊、無調整音楽を経て、
全く新たな調性の世界「12音音階」を確立するに至る。
これらの流れは、音楽理論破壊による新しい音楽芸術の創造と言えよう。

しかし、音楽家がどんなに「音楽を超えた音楽」を表現しようとしても、
音楽そのものが根元的に存在しない何かを表現する手段である以上、
どれもシュールレアリズムと認められるには至らなかった。

そして現在に至っても、一般的に「シュールな音楽」とされるものは無い。
まあ、芸術を「ナントカ主義」と言って区切ること自体がナンセンスとも言える。
今や、上に挙げたシェーンベルクの音楽でさえ「古典(クラシック)」とするのが通説という時代だ。
一昔前で言えば「電子音の可能性」や、「映像と音楽の融合」などが注目されていた。
それらは、100年後どう評価されるのだろうか。
技術の革新とともに表現の幅はますます広がる。
デジタル5.1chサラウンドは出た。立体映像はまだか。

どの時代、どの民族にも、理屈抜きで通じる真の芸術というものが、ごく希に生まれている
ということも忘れてはならない。それはまさに「何か絶対的な存在」を思わせることがあるものだ。
そんな「絶対的な存在」を求めて、今日もまた無駄に思考してしまった・・・。
# by ryo-0316 | 2005-11-11 02:15 | 音楽・・一般


私信含む

最近どうも理屈っぽく考えてしまうのがいかんなぁ。でも理詰めは楽しいのです。

「善悪とは何か」
物事の「良い」「悪い」は、何で決まるのだろうか。
結論から言ってしまうと、絶対的に「良い」とか、「悪い」とか言うものは無い。
それを決めているのはその人の中にある、その人だけの価値観だ。
そして万人に共通した価値観というものはこの世界には何一つ存在しない。

少なくとも私にあるのは「好き」か「嫌い」かだけだ。
私の場合「好き」の代わりに「心地よい」を使ったりする。
「良い」とか「悪い」とかは、会話の中で軽い気持ちで使うことはあっても、
改まって何かの評価をするときに、「絶対的にこれが良い」とはまず言わない。
そんな無責任なことは言えないワケだ。
だから、お茶を濁すわけではないが、「好き」とか、「心地よい」とか言うようにしている。
気に入らなかったら、素直に「好きじゃない」という。
「嫌い」とすっぱり言えないのは、それによって人間関係が壊れることを危惧しているからかもしれないし、
相手を思いやっているからなのかも知れない。(自分のためなのか、相手のためなのか)

話は戻るが、「評価」というのは万人がそれぞれの価値基準で下すものだ。
その固有の「価値観」が、どれだけ普遍的であるかによって、芸術性が生まれたりもする。
しかし、共感する人間が多ければそれが「芸術的」であるかというと、さにあらず。
それを芸術たらしめているのは、「芸術でないもの」と「芸術であるもの」との線引きだけなのである。

つまり、例えば私が今書いているこの文章を、私が芸術作品として提示すれば、それは芸術作品になる。
それが万人の共感を得るかどうかは別問題である。とにかくこの文章は芸術なのだ。

芸術家として一番嬉しいのは、作者がその作品で表現したい「モノ」と、
それを鑑賞した人間が受けとめた「モノ」とが、著しく一致しているとき、
或いは著しく不一致であるときのような気がする。

ドビュッシーは「海(La mer)」という作品で、ある1日の海の様子を表現した。
それに関して多くの音楽評論家たちは、
「この曲は全然海が表現されていない。」 と批判したそうだが、
ドビュッシーの友人であるエリック=サティは、
「この曲、11時57分あたりが実に良いね」 という評価をしたという。
ドビュッシーはこの評価をどう受け止めたのだろうか。

「海ならこのように表現すべきだ」などとは、誰が言えるだろうか。

まぁ、ひねくれもののエリック=サティの真の意図は分からないが、
芸術の評価などというものはこの程度であるべきではないだろうか。
自己満足に共感してくれる人間が、一人でも居るだけでありがたいと私は想う。

だから、私は自分のために音楽を作る。誰かのために音楽を作るなんておこがましい。
きっと世界に一人くらいは、自分の音楽を理解してくれる人が居てくれることを信じて。
批判なんて気にしない。他人が気に入らないことなんて、ない方がおかしい。
芸術家なんて、それくらいの気楽さが無ければやってられないんじゃないですかね。




なんか最後の方ちょっとクサイな。 まぁ、よくあることで。
お誕生日おめでとうございますです。(1時間早いけど)
# by ryo-0316 | 2005-11-09 23:12 | 日記

    
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